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わたしと猫のはなし

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 私は日ごろからねこのツイートを見るとふぁぼしたり、ねこを見かけるとテンションが上がるような一般的なねこ好きだ。しかし、ねこを飼っているわけでは無い。

 正確に言うと、幼き頃、田舎の山奥、引っ越す前の昔の実家では飼っていたことがある。

 

 私の家ではねこを4匹飼っていたらしい。

「らしい」と言うのは、物心つく頃にはすでに2匹しかいなかったからだ。

1匹はアメリカンショートヘアー。もう1匹は三毛猫。

 私がねこ好きになった原点はここにあるし、三毛猫が好きな理由でもある。このサイトのデザインカラーも三毛猫カラーになっている。

 

 しかし幼き頃から毎日のように一緒に居た、というわけでは無い。

ねこたちは田舎の広大な自然の中で放し飼いされていた。彼らはとても気まぐれで、昼ご飯の時間だけ姿を現し、ほとんど家の中では見かけなかった。

そばに寄ってきたり、体を撫でさせてくれることなどほとんど無い、野生の強い気高いねこたちだった。

今思うと、ただ単に心を許してくれていなかっただけかもしれない。

 

 わたしは保育園に行っていなかったため、家の中で遊んでいる時間は長かったが、そんなわたしでさえ家の中で見かけることはほとんど無かった。

 「いつもどこに居るのだろう?」とよく思ったものだ。そのため、わたしにとってねこたちは身近であって身近でない存在だった。ねこを撫でたことや、抱っこしたことはほとんど無かったため、今でもねこを触ろうとすると少し臆するところがある。

 それでも、ねこを撫でたいと思うのは、幼き頃に触ったあの毛並みが忘れられないからなのだろう。

 

 アメリカンショートヘア―の子は、どこかへ行ってしまったと聞いた。ねこは死に際に姿を消すと言うが、最後まで野生あふれる子であった。

 三毛猫の子は、亡くなってしまったときのことをぼんやり覚えている。悲しかったかどうかすら覚えていない昔のお話だ。

 

 兄は同じく大のねこ好きで、いつかねこを飼いたいと言っている。母は今でもねこを飼いたいと言うことがある。

 私はねこ好きをずっと公言しているが、意外にねこを飼いたいとは思わない。ペットは家族で、飼うということはその命に責任を持つことだ。おもちゃでは無い。

 責任を持つのが怖いのだろうか。

 いや、もしかしたらいつか別れることになるのが辛いのかもしれない。

 幼き頃、ねこが亡くなったときに泣いたかどうかはもう覚えていない。

 でも、「ねこを飼いたい」と家族が言うたびに、小さな体から感じた心臓の鼓動が、幼き頃の別れの記憶が、わたしの脳裏をよぎるのだ。