わたしと書道のはなし
実家に帰省する際、毎回のように母方の祖母の家にも顔を出す。
城下の町中にある古い家で、昔は製麺所を営んでいたと言う。
ところどころボロボロになってはいるが、城下の町並みの中で、歴史を感じさせる佇まいを今も残している。
今住んでいるのは祖母と叔父だけだが、亡くなってしまった祖父の部屋は今もそのままで残っている。
少し埃がかった和室。部屋一面に広げられた書道道具の数々。祖父は書道家であった。
それなら私も書道が上手いのか?と思うかもしれないが、そんなことは全くない。むしろ下手くそだし、嫌な思い出の方が残っている。
幼き頃から夏休みには祖父母の家にお泊りに行くのが一大イベントで、叔母と従妹兄妹も遊びに来るので毎年楽しみにしていた。
祖父は家で習字教室を開いていて、2階にある寺子屋のような部屋で町の子どもたちに習字を教えていた。
夏休みになると、たくさんの生徒たちが祖父の習字教室に通い、ずらずらと降りてくる姿をよく見かけた。
それを横目に、わたしと兄、従妹(同年代の兄と妹)はゲームで遊んでいて習字を習う気は一切無かった。
しかし、そんなわたしたちにも習字をしなければならない時はある。
毎年恒例の書初めの宿題である。
基本的に書初めの宿題は、賞に選ばれたい強い目標などが無ければ、それなりのものを書いて満足したら終わって良いことである。
しかし我々にそんな甘えは許されなかった。
わたしたち兄弟には母が、従妹兄妹には叔母が着き、習字部屋で一日中習字をする。
晩年の祖父はニコニコ優しいお爺さんであったが、昔は悪戯した幼き母を蔵にぶち込むほどの厳しいお方だったと聞いている。
そして、そんな祖父に書道を叩きこまれている母と叔母は、書道に対する向き合い方が違うのである。
上手くない字を書けば、隣から「ここがダメ」「ここがダメ」とボツボツボツの連続で、まともな作品が出来ることはほとんど無い。
横からダメダメ言われるとやる気が無くなるし、書くのに失敗すると怒られるのではないかと手が震えた。
わたしと従妹(兄の方)の泣き声、「もう止めたい!」という怒りが習字教室中に響いていた。
そして極めつけに兄や従妹に比べて、わたしは格段に書道が下手くそであった。
最後まで居残りするのはいつもわたしであった。
書道は姿勢や筆の持ち方など、基本的な事がとても大事だ。しかしわたしは絵を描くのが大好きで、普段から顔を傾け、腰を曲げ、えんぴつで手の側面を真っ黒にしているような姿勢もへったくれも無い子供であった。
普段から書道をやってもいないのに、突然母が納得のいくような上手い字が書けるわけが無い。
母が「見本を書いてあげる」と自慢の腕で見本を書いてくれるのであるが、「じゃあもうそれを提出しろや」と思うくらい荒みまくっていた。しかもガミガミ言うだけあってちゃんと上手いのでさらに腹が立った。
そうしてなんとか母を妥協させた作品を、祖父はニコニコ褒めてくれた。
人にものを教える時は、何よりも褒めること、努力を認めることを大切にしなければならない。今そう考えるのはこの経験のせいかもしれない。
年が経つにつれてその行事は無くなったが、結局私に残ったのは、ボールペンで綺麗っぽい字を書けることくらいであった。
歳をとられたが、祖母も驚くほど綺麗な字を書く。祖母の家には今もいくつか書が飾られている。そういったものに祖父の面影を感じる度に、私にも何か芸事の才能があってほしかったなと思うのだ。