大晦日にまつわるエトセトラ
2019年12月31日。令和元年の大晦日。私はコンビニに居た。
時刻は23時を回った頃、周辺は静まり返っており、店内には私と店員のおじさんの二人だけ。大晦日の大きな仕事を一通り終え、晩御飯を買おうと思っていた。
年末年始に忙しい仕事ではあるが、元旦は珍しくお休みを頂いていたため、頑張って仕事を終えた夜だった。体力もほとんど無かったため、ただボーっと本棚を眺めていると、文豪が猫について書いた短編集を発見。コンビニ限定の本なのかな?と思いながらパンと一緒に購入することにした。
静まった夜の街を自転車で走る。頭はまだ仕事の中にいて、今日どんな仕事をしたっけ、年始の予定はどうだっけと考えるのだが頭はまったく回らなかった。
いつもの帰り道をふらふら帰っていると、警備員が交通整理をしていた。近くにはオレンジ色の淡い光。真っ暗な闇の中でその場所だけが不思議に際立っている。よく見ると近所にある神社だった。神社へ向かう人々がちらほら。年末年始だから神社に来る人も多いのだろう。いくつか屋台も出ているようだ。
ふと私の好きな作家である森見登美彦の言葉を思い出す。京都で祭りに出くわすたびに、不思議な別世界に来たように感じると書いていた。少しその気持ちが分かった気がした。この場所に行きたいと強く思った。
もともと元旦にはこの神社に初詣に来ようと思っていたが、明日じゃダメだ。今行かなくては。
疲れ切った体に力が戻ってきていた。先ほどまでの眠気はどこかに消えた。時刻は23:30。急いで帰って戻ってくれば、年越しに間に合う。急いで自転車を漕ぐ。
部屋は散らかっていたが、気にしない。年末年始は一度きりだ。来年この場所に居るかは分からないし、元旦に休みをもらえる可能性も無い。荷物を玄関に置いて、歩いて神社へと戻る。
近くのお寺が除夜の鐘を鳴らしていた。同じように神社へ向かうだろう人々が見える。思えば、この場所に引っ越してきて一人暮らしを始めてからもう一年以上経っていた。昨年の年末年始は連勤で、カウントダウンをした後すぐ寝てしまった。一年後にまだここに住んでいるとは想像もしていなかった。
神社に着くと、異様な光景が広がっていた。先ほど見た時には無かった長い行列が、神社に向かって出来ていた。行列は鳥居を抜けて、道路へと長く長く続く。神社の規模はそんなに大きくないのに、なぜこんなに並んでいるのか。何か特別なイベントでもあるのだろうか。とりあえず私も最後尾に並ぶことにした。
どうやら初詣に来た人の列らしいが、それにしても多い。この地域の人々に愛されている神社なのだろう。驚くことに若い大学生たちも多い。この地域には大学がいくつかあるのでそのためだろう。私の地元ではあまり見れない光景だった。
並び始めて数分後、年明けのカウントダウンが聞こえる。2020年が始まった。
近くから花火の音も聞こえる。どこかで打ち上げをしているらしい。周りを見渡したが、花火は見えない。どうやらこの行列の位置からは見えないようだ。
残念がっていると、近くにいた家族連れから「ビルのガラスに反射してる!」という声が聞こえてきた。近くにある小さなビルを見てみると、まるで花火の部分だけが切り取られたように、綺麗に映って流れていく。「反射した花火を見て何が楽しいねん」とツッコミの声が聞こえる。分かってない。こんなに素晴らしいものは無い。
この神社は周りを木で囲まれており、外側から眺めたことは何度もあったが、実際に足を踏み入れるのは初めてだった。列に並ぶこと40分ほど。お参りの順番が回ってきた。良い御縁がありますようにと5円を投げ入れて手を合わせる。本年もよろしくお願いいたします。
せっかくなので、おみくじを買う。大吉だった。毎年こういうところだけ運が良い。
目的は果たしたので、屋台で大判焼きを買って帰る。出入り口へ向かうと、まだまだ列は続いていた。
今年はどんな年になるだろうか。歩きながら大判焼きをほおばる。温かいクリームが口の中に広がって溶けた。疲れが突然どっときて、ふらふらになりながら歩いた。
家に帰ると、玄関に広がった荷物と散らかった部屋。元旦にしたことは一年を通してすることになると聞いたことがある。今年は整理の年になりそうだ。